大正時代の頃に水で溶いた小麦粉を焼いて刻みネギなど乗せ、ソースをかけて出していた物が一銭洋食として売り出されていました。当時はソースさえかければなんでも洋食と見なされており、庶民の味として浸透し、お好み焼きの元となりました。戦後の三津においては、単に「洋食」として主に主婦層やおばあちゃん世代の人たちが、店舗の軒下や本業の店の一画などで作っていました。具材は千切りキャベツ、魚粉、卵、天かすなどで、店によって様々でした。因みに、現在のお好み焼きと違い肉が使用される場合は主に牛肉であり、この影響から三津浜焼きも昔は牛肉を使うのが一般的でした。戦後、これらが関西では混ぜ焼きのスタイルに、三津や広島では乗せ焼きスタイルとして定着していきます。
では、広島と三津のお好み焼きは何が違うか? 実は焼き方や具材に違いがあります。決定的に違うのが焼き方で、広島では生地の上にキャベツや具材等が先に乗りいわゆる素焼きの状態のものを、後で麺の上に重ねるのが一般的です。三津浜では生地を鉄板で焼き、その上に味付けをした麺(中華そば・うどん)が先に乗ります。ここから三津のお好み焼きは麺が入るものを「台付き」と呼ぶようになったのです(つまり生地の上にそばやうどんの台が付くという意味)。
歴史はともに大正の頃に遡り、全国的にも先述の「一銭洋食」が広まっていたことから、いつごろから始まったのか明確なところは判っていません。広島と三津は昔から航路で繋がり、それぞれの文化や風習、方言なども近しいものがあり、今となってはどちらが先かはどうでもいいことになっています。ようはお互いに美味しいものとして、地元の人々に支えられ今日に至っているのですから。
そんなみんなに愛され続けたお好み焼きを「三津浜焼き」としてブランド化し、県内外へ発信したい思いから、平成船手組のメンバーや地元のお店の皆様とで、新たに取り組みを開始しました。たくさんの人たちが三津へ来て、「三津浜焼き」を食べ、三津の歴史や文化に触れていただくきっかけになれば幸いです。
三津浜焼き推進プロジェクトでは、「三津浜焼き10ヶ条」を定め、私たちはこれを基にして三津浜焼きを作って(焼いて)います。しかし、これはあくまでも当時の三津のお好み焼きを回帰するためのものであり、必ずこうでなければならいとするものではありません。それぞれのお店毎に工夫や味付け方法がありますので、いろいろなお店に出かけていただき、いろいろな「三津浜焼き」をお楽しみいただきたいと思います。
- その一 三津浜で古くから親しまれている「ちくわ」を使っている。(伝統的には紅白のちくわが多い)
- その二 味つけをしたうどん、もしくはそばが入っている。
- その三 店舗ごとで工夫されたオリジナルソースを使っている。(好みによってマヨネーズを使う)
- その四 隠し味として「魚のけずり粉」が入っている。
- その五 トッピングは、肉や海産物、牛脂など各店で様々に工夫している。
- その六 二つ折りの半月型で提供される。(元は狭い鉄板を有効に使うために折ったとされる)
- その七 ソースは折る前と折った後との二度塗りである。
- その八 通はコテを使って鉄板の上で食べる。(コテしかださないお店もあるから気をつけて!)
- その九 生地の上に麺がのった三津浜焼きは「台付き」、焼きそば・焼きうどんは「バラ」、生地の上に野菜のみで焼いたものは「素焼き」と呼ぶ。
- その十 大正の頃の「一銭洋食」が原点、三津浜の人々にとって古くから「洋食」として親しまれた伝統を受け継いだ物語がある。
基本的な作り方をご紹介します。関西風に比べて難しそうなイメージをもたれる方が多いようですが、フライパンででも作れます。それぞれの工夫でオリジナルの三津浜焼きを作ってみてください。
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生地をクレープ状に薄く鉄板に敷いて焼きます。
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傍らでそばやうどんを味付けしながら焼き、①の上に乗せます。
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②の上にキャベツ、ちくわ、天かす、肉類などを乗せて、生地を細くまわし掛けます。
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③の具材や生地が馴染んだら、裏返します。この時にコテで押さえて水分を飛ばします。
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④の横に玉子を割り、コテで目玉焼き生地と同様に広げ、④を上に重ねます。
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⑤を裏返し、玉子の面にソースを塗ります。
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⑥を二つに折って、さらに上からソースをたっぷり塗ります。
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最後に削り粉や青のり、胡麻などをお好みでかけて、できあがり!