三津を代表する棟梁の洋風建築がカフェに
松山市須賀町4-6
現在カフェとして営業しているモダンな建物・かつての白楊会館は、愛媛県女子師範学校(明治43 年開設)の卒業生からなる白楊会会員の研究活動、親睦、宿泊などのため会員の寄付によって昭和9年に建てられました。
棟梁の馬野楳太郎は、明治25 年山口県の家に生まれ。幼少期より三津に育ち、親戚の元で大工の修行をしました。洋風建築については独学で学び、松山発の映画館をはじめ三津に三津浜図書館、三津浜銀行、石川医院などを施行しています。白楊会館は42 歳の時に手掛けた建物で、石川医院と共に現存しています。
建築当初は、1 階に和室4室と炊事場、洗面所、便所、浴室。2 階に40 畳の講堂と控え室、貴賓室が設けられました。太平洋戦争中は外地から身一つで引き上げてきた会員と家族の生活の場として使われ、数家族の住まいとなっていました。
現在は、カフェとして運営されています。
参考文献:三津の古建築ものがたり